文・一部写真:金子 浩久
1989年 フランスからイタリアへの高速道路
自動車高性能化の目的は、ひとえに移動時間の短縮にありました。目的地まで到着するのに必要な運転時間を、いかに短くできるか?
1989年にフランスのパリからイタリアのイモラサーキットをレンタカーのBMW520iで往復した時に、そのことを体感させられました。
シャルル・ドゴール空港のエイビスレンタカーで受け取った520iは、日本で予約する際に「3人と3人分の荷物にカメラ機材を収めて、可能な限り速く走れるクルマ」とリクエストして渡されたものでした。
その当時の現行機種はE34型と呼ばれるBMW 5シリーズ。写真はステーションワゴン型の「BMW 520i ツーリング」
フランスではオートルートと呼ばれる高速道路に乗ってイタリア方面へ南下し、まだ存在していた国境も道路上にあり、イタリアへ入ると高速道路はアウトストラーダと呼び名が変わりました。食事や休憩以外は運転を交代しながら高速運転し続け、イモラサーキット近くのホテルに着いたのは10時間後。それが速いのか遅いのかという前に、両国の高速道路の走りやすさと合理性の高さの日本とのあまりの違いに感嘆させられました。
たしか、まだ厳格な最高速度制限が定められておらず、130km/hが“推奨”されていた時代です。それでも、コーナーとアップダウンが連続する山間部や見通しの良くないところ、長い上りや下り、インターチェンジの前後区間、工事区間などでは状況に応じた最高速度が厳格に定められていました。その速度も、時と場合に応じて100km/hだったり、80km/hだったり、さらには60km/hや40km/hだったりと、細かくぜんぶ違うのです。日本のように十把一絡げにしていません。そこにリアリティと説得力がありました。だから、みんなそれをきちんと守って走っています。走らせる方がリアルならば、走る方もリアルになるのです。だから、追い越しが終わっても追い越し車線をダラダラ走り続けたりするようなクルマはいませんでした。
僕らはそうした高速運転環境に眼を見張らされ、それに則りながら、ハイペースで走り続けました。こちらが必死になって出せる範囲のパフォーマンスを出し切って走っているのにもかかわらず、スイスイと追い越していくクルマが何台もいたのです。
それらの中には、同じBMW5シリーズの最新型もいました。525iや530iなど、僕らが借りた520iよりも大きなエンジンを搭載しているクルマです。BMW以外のクルマも、追い越していくのはみんな520iよりも高性能な、つまり加速と最高速に優れた性能を有しているクルマばかりでした。
もちろん、走行車線をゆっくりと流している高性能車もいました。全車がハイペースで走っていたわけではありませんが、ヨーロッパには走ろうと思えば全力を出し切って走れる道路環境がありました。
速度と序列
そして、そこには、性能差という厳然とした“序列”が存在していたのです。性能に差があれば、時間をおカネで買うことができます。僕らが実際に520iでイモラサーキットまで要したのは約10時間でしたが、単純化して表すと525iなら9時間で、さらに530iなら8時間で済む。つまり、性能差イコール所要時間差なのです。1日は誰にも24時間しかありませんけれども、移動時間は短くすることができる。それこそが高性能なクルマの存在理由です。
クルマを運転している時間とは、仕方のないもの、無駄なもの、なるべく短くしたいものだったのです。高性能なクルマに乗れば運転時間を減らせ、その分を代わりに使うことができます。メーカーはより高性能なクルマを開発し、ユーザーはそれを欲する。自動車メーカーにとってもユーザーにとっても合理的で、これ以上の動機付けはあるでしょうか?
筆者・金子浩久氏の718ボクスター
僕のポルシェ718ボクスターのような2座席スポーツカーなど、しょせんは端の端に位置する脇役に過ぎません。運転を楽しむなどといったって、渋滞していたら1ミリも進みません。運転中のドライバーは、その時間を運転に捧げなければなりません。運転以外の他に何もできないからです。だから、運転する時間は1分1秒でも短い方がいい。その価値観がクルマを発展させる推進力となってきました。
しかし、先日、メルセデス・ベンツの新型Eクラスを試乗して、その価値観が転換されつつあることを知りました。
2024年 Eクラスの車内
新型Eクラスのダッシュボード中央上部には、車内向きのカメラが設置されています。あらかじめEクラスにインストールされている「Zoom」アプリを使って、停車中にインターネット経由でオンライン会議ができるのです。
また、「YouTube」アプリもインストールされているので、停車中や渋滞中に視聴することができます。試しに、試乗中にアクセスしてみたところ、「この速度では動画を再生することができません」と警告が表れたものの、音声は再生されました。YouTubeには語りを聞くだけで満足できるようなチャンネルも多いので、これだけでも事足りますね。
YouTubeアプリはラジオやカーオーディオと変わらない受動的なものですが、車内向きカメラは能動的なものでしょう。これまでのような“運転している時間はなるべく短くしたい”という価値観とは相入れないものです。クルマを停めてオンライン会議をするくらいだったら、早く会社に戻れば良いのですから。でも、インターネットは場所の制約を乗り越えましたから、どこでも会議できるようになりました。速く走って、早く戻る必要そのものがなくなったのです。他にも、新型Eクラスには多くのアプリがインストールされていて、さらに追加することも可能となっていました。
速度の変化
ボルボが数年前に、自社のクルマの最高速度を180km/h以上にしないことを発表しました。エコの観点とともに、新型Eクラスの車内向きカメラと同じ意味を持つものだと解釈しました。今までは、運転中は運転しかできませんでしたが、たとえレベル2の自動運転下であったとしても、急いで帰宅や帰社しなくても行えることが増えたので、最高速度を上げることを無理に推進する必要がなくなったとボルボ開発陣は判断したのだと思います。
運転している時間は1秒でも短くすることでしかユーザーの生活を効率化することができなかったのに対して、運転中でもできることをいかに増やせるかという正反対の視点も備わってきたのです。
発表されたばかりの新型MINI クーパーには、「MINIエクスペリエンスモード」が装備され、7種類の光のグラフィックとアンビエントイルミネーション、「MINIドライビングサウンド」による音などとを組み合わせ、インテリアの雰囲気をその時の気分で選ぶことができます。
ビビッドモードなるものを設定すると、流れている音楽のカバーアートの色に合わせたライトエフェクトが25色の中から自動的に選定され、ダッシュボード上に投影されるそうです。つまり、再生する音楽の曲ごとに車内のライトエフェクトが変わる楽しさがあるようです。ディスコのミラーボールのように、光がグルグルと回ったりするのでしょうか?
どのようなものなのか実車を確かめてみなければなりませんが、運転している時間を短くしようという従来からの考え方からは生み出されない発想です。運転中も渋滞中も、車内にいる時間を楽しんでしまおうという発想ですね。
運転している時間は、“1秒でも短くしたい無駄なもの”と断じられていた時代から、“有益だからいかに活用するべきか”へと時代は転回しつつあることを新型Eクラスと新型MINIクーパーが体現していました。他のクルマでも同じ傾向が認められます。大きな変化がすでに始まっているのかもしれません。
からの記事と詳細 ( 新型EクラスとMINIが体現している時代の大きな変化 自動車ジャーナリスト金子浩久の「718ボクスター日乗」(第9回) - JBpress )
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