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Monday, April 29, 2024

「いかにもミニシアター向きの文芸作品とかはダメですね(笑)」戦前から続く舞鶴の劇場で反応のいい映画とは - 文春オンライン

 日露戦争の際に軍事拠点として重要な役割を果たした舞鶴は、海軍を中心に発展してきた。舞鶴八千代館が開館したのは、太平洋戦争開戦が迫っていた時代だ。

『セーラー服と機関銃』上映時は長蛇の列が

 戦後は海上自衛隊の基地が置かれ、造船業も発展した。人が集まれば経済がまわり、娯楽施設も潤う。映画産業が最盛期を迎えた昭和30年代には舞鶴八千代館の系列館が市内に3館もあったという。

ビル外観のドラゴンの造形物は経営体制変更後に取りつけられた ©芦部聡

「現在のビルに建て替えたのは81年12月。薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』を上映したときは館外まで長蛇の列ができた…といっても私も話に聞いただけですが…。昔の資料は弊社にはほとんど残っていないんです」

 総支配人の新城出さんは、創業家から運営を引き継いだシマフィルム株式会社の社員だ。同社は同じ京都府内にある福知山シネマ、京都シネマ、出町座を運営するほか、映画制作にも携わっている。

「07年に福知山東宝劇場・福知山スカラ座の跡地を、福知山シネマとして再生しました。

©芦部聡

 その後、舞鶴出身の弊社代表・志摩敏樹が、前経営者の野村正男さんという方から『後継者がおらず困っている』との相談を受け、08年に経営権を取得したというのが経緯になります」

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