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Thursday, August 13, 2020

岩井俊二監督、ミニシアターで「映画のすべてを学んだ」:がんばれ!ミニシアター(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース

 新型コロナウィルスの感染拡大に伴い発令された緊急事態宣言が解除され、現在全国の映画館が営業を再開している一方で、長期の休業が続いた経営規模の小さなミニシアターでは閉館せざるを得ない可能性もある危機が続いている。今だからこそ、ミニシアターの存在意義について、今の日本映画界を担う映画人たちに聞いてみた。  『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016)、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)などで知られる岩井俊二監督は、宮城県出身。地元にあった名画座は当時、学生が300円で映画を観られたそう。その映画館は、監督が「映画の作り方を勉強した場所」と振り返る場所だ。

 「おこづかいも微々たるものだったので、ロードショーは見送って、名画座に来たら観るという感じでした。中学時代は『砂の器』(1974)とか『八甲田山』(1977)とか。篠田正浩監督の『はなれ瞽女おりん』(1977)にかなりハマりまして。何度も通いました」

 授業をサボって映画館に入り浸り、物理の先生に怒られたこともあった高校時代。「お前、先週何やっていたんだって言われて、僕も生意気だったから映画を観に行ってましたって。映画館に行くことは僕の中で勉強だったので(笑)」と当時を述懐する。

 ちょっと生意気な映画少年は映画を観ることによって、映画作りを学んでいった。

 「ヨーロッパ映画や邦画をかなり見ました。『青春の蹉跌』(1974) はカルチャーショックだった。桃井かおりさんの怪演といい、萩原健一さんのかっこよさといい、奇抜な演出といい、かなり影響を受けました。ルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』(1971)とか、ベルイマンの『処女の泉』(1960)とか。それまで観ていなかったジャンルの映画に傾倒して行きました。そういう映画たちからスポンジのように何かを吸収してたんでしょうね、きっと」と振り返る。そんな高校時代、映画作りへの衝動を駆り立てたのは、2本立てで観た『もう頬づえはつかない』(1979)と『Keiko』(1979)だった。「特に『Keiko』は凄い衝撃で。あの映画を観てしまったのが運の尽き(笑)、自分でも映画を撮れると思い始めて矢も盾もたまらずに映画を撮り始めたんです」

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August 12, 2020 at 01:02PM
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