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Wednesday, March 25, 2020

ミニストリー、R.E.M.、キング・クリムゾンで活躍したドラマーのビル・リーフリンが59歳で逝去。その半生を辿る - https://ift.tt/2osRuMf

ミニストリー、R.E.M.、スワンズ、ナイン・インチ・ネイルズ、キング・クリムゾンなど多くのバンドで活躍した偉大なるドラマー、ビル・リーフリン(Bill Rieflin)が2020年3月24日に癌との闘病の末、59歳で逝去した。

シアトル出身のビル・リーフリンは、70年代後半にテレパス、タッパーウェアズ、そしてブラックアウツといった地元のバンドとの活動でそのキャリアをスタートさせた。ブラックアウツはその後、インダストリアル・メタルバンド、ミニストリーのフロントマンであるアル・ジャーゲンセンがプロデュースを手掛けた1983年の『Lost Souls』をはじめ、多くの作品をリリースしていった。

ビル・リーフリンがミニストリーに正式メンバーとして加入することはなかったが、90年代の彼ら代表作『Land of Rape and Honey』や『Psalm 69』の収録曲の多くに演奏で参加している他、リヴォルティング・コックス、ピッグフェイス、KMFDM、ナイン・インチ・ネイルズ、ピーター・マーフィー、サウンドガーデンのクリス・コーネルなど、多く関連バンドやミュージシャンの作品でもその手腕を発揮している。

ビル・リーフリンは、その30年に及ぶキャリアの中で、様々なジャンルのアルバムに参加し、数え切れないほどの作品にその名を刻んでいるが、彼はただのサイドマンではなかった。マルチ・インストゥルメンタリストでもあった彼は、ギター、キーボード、ベース、そしてプロデュース業に至るまで、作品づくりに必要な役割は何でも担った。

「僕が最初に演奏した楽器はピアノでした。それからギターを弾き始めて、その後に手をつけたのがドラムでした。ドラムは決して一番やりたかった楽器ではありませんでしたが、近所のバンドでは必要とされていました。それからヒューマンズではベースを弾いています。必要とあらば、どんなパートもやるんです」とビル・リーフリンは2011年のNPRのインタビューに語っていた。

R.E.M.がドラマーを探していた1997年にミニストリーを離れた彼は、2003年からR.E.M.が解散した2011年まで、バンドの作品やツアーに参加する傍、彼と同じくR.E.M.のサイドメンバーだったスコット・マッコーイーが結成したバンド、ザ・マイナス5とも活動を共にしていた。彼の演奏は、2004年の『Around the Sun』、2008年の『Accelerate』、そして2011年の『Collapse Into Now』というR.E.M.の最後の3作で聴くことができる。

ソロ・アーティストとしても活動していたビル・リーフリンは、1999年のデビュー作『Birth of a Giant』を含むソロ作品も残している。2013年にキング・クリムゾンに加入した彼は、最初はドラマーとして、後にキーボーディストとしてバンドに貢献を果たした。

ロビー・ウィリアムズのアルバム『Take the Crown』のようなメインストリームのポップ作品から、エクスペリメンタル・バンドのスワンズに至るまで、ビル・リーフリンは音楽業界で最も多才なドラマーのひとりだった。

彼の訃報を受けて、元バンドメンバーや多くの仲間たち、地元シアトルの友人たちがソーシャルメディア上で哀悼の意を捧げている。




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