1959(昭和34)年に誕生した20世紀の傑作ミニは、モーリス社の構想だったがオースチンとの合併で、オースチンから発売された。メカミニマム・マンマキシマムの理想を実現したミニは、一度は合併で没になるが、スエズ動乱の石油危機で復活。オースチンセブンとモーリスマイナーの名で発売されたが、会社に期待はなかった。
低所得者向けのつもりが、ふたを開けると金満家の玩具的感覚購入も加わり評判は上々。ミニの名に統一して売り上げを伸ばしていった。評判よければ調子にのり派生車種が増える。幸いなことに吸収合併を繰り返したオースチンには銘ブランドの所有権が沢山。
で、生まれた兄弟車が、ライレイエルフ、ウーズレイホーネット。そしてミニモークなど。まだまだいけるぞと調子に乗りミニをベースに、大きなミニを開発した。で登場したのがオースチン1100、ライレイケストレル、ウーズレイ1100、MG1100、そして極めつけがバンデンプラス・プリンセスで、日本にもファンがいて、今でも大切に使っているようだ。
さて、成田開港前の国際空港羽田で撮った写真は、ミニ誕生から5年目に生まれたオースチン1100で、当時の輸入元は東京渋谷富ヶ谷1丁目のキャピタル企業。その諸元は全長3727×全幅1535×全高1345㎜・車重808㎏・直4OHV1.1?・48馬力・最高速度時速130㎞。後輪リーフスプリング、前輪はミニ踏襲の独特なハイドロラスティック型。こいつは特殊な油圧式で、小径タイヤ用にイシゴニス博士が発した優れもの。予想外な乗り心地の良さに感心したが、故障が多く後に常識的ウイッシュボーになり、独特な乗り心地が失われた。
初対面の1100は、低く長い車体の姿にダックスフントを連想したが、乗り込んだら室内の広さにビックリ。走りは軽快で加速も良く小径タイヤからは想像つかぬ乗り心地の良さに感心した。初期のFWDらしく強いタックインで乱暴運転では神経を使ったが、街乗りでは長いホイールベースで快適だった。
さて1100の母体であるミニだが「やがて世界中が私のミニの真似をするだろう」とはイシゴニス博士の言。技術的先見の明と共に素晴らしい自信である。で、その後、このエンジン横置き前輪駆動が世界のスタンダードになるのは御承知の通り。が、一言加えれば、前輪駆動はミニが元祖ではない。WWⅡ以前からコードやシトロエン、また戦後もDKW、そして我がスズライトもFWDの先輩達である。
(車屋 四六)
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。
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