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Wednesday, August 17, 2022

渡米の首相夫人にはかせたミニスカート 森英恵さん「金字塔」の数々 - 朝日新聞デジタル

 11日に96歳で亡くなった森英恵さんは、聡明(そうめい)で意思が強く、また懐の深さも併せ持つデザイナーだった。日本服飾界の草分けで、正統派の服作りを通じて、「東洋と欧米の融合」に心をくだいた。

 1926年、開業医の家の5人きょうだいの次女として、島根県鹿足郡六日市町(現・吉賀町)に生まれる。故郷の大自然がデザイナーとしての豊かな色彩感覚をはぐくみ、春の野に舞っていたモンシロチョウがデザインモチーフにもつながった。

 37年、東京へ移住し、杉並区の小学校に転入。洗練された都会の装いにカルチャーショックを受ける。日本文学を専攻していた東京女子大学在学中に、迎えた終戦。「大空襲の下、生と死ぎりぎりのところで生きて来たことが私の原動力」とよく話した。そんな体験が森の静かな達観性と共に、優雅な作品に秘めた反骨精神を生んだ。

 大学在学中の勤労奉仕で知り合い、後にハナエモリの会長となる夫、森賢氏と結婚。繊維会社を営む夫は多忙で不在がちで、主婦業の傍ら「退屈しのぎに」習い始めた洋裁が、森の才能に火をつけた。

 51年に新宿に開いた洋裁店が、開店2年で大繁盛。その後の日活など日本映画の最盛期には、500本以上の映画衣装を制作した。石原裕次郎主演の「太陽の季節」「狂った果実」……。1作品で最低85着は必要で、生地は自ら東京・上野のアメ横などで調達した。「限られた時間と予算で求められた以上のことを返すことと、男と女の本質を学んだ」と話していた。

 しかし、連日睡眠2時間で「女ナポレオン」などと呼ばれるほどの多忙さ。「妻や母親の役目は果たせないと、廃業も考えた」。気分転換にと出かけた欧米旅行で実感した、日本人としてのアイデンティティーと反骨魂が海外進出への道を開く。

 米国で上映されたオペラ「蝶…

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