タイトルの略"M.M.M."は、『Mini・MINI・Moulton』の頭文字で、クラシック・ミニ、現在にいたるBMW ミニ、そして小径輪自転車モールトンを指す。気恥ずかしいが、英語の子供数え唄、"Eeny, Meeny, miny, moe"をもじり、『いいね、ミニ、ミニ、モールトン』ではじめる。
『それは新しい。それは非凡である。それはシンプルだ』 —ネルソン提督トラファルガー海戦前、作戦計画について
それは新型車技術解説としては、新奇、異色で、簡潔な見出しである。大提督ネルソン卿の表現がふさわしい自動車があるとすれば、それは1959年夏、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション、略称BMCが発表したモーリス・ミニマイナー850/オースティン・ミニセヴンであろう。
このBMC解説書は、名イラストレーターのセイオ・ペイジと、自動車カートニスト、ラッセル・ブロックバンクのミニひとこまが含まれている。都度、紹介しよう。
8月26日、ロンドン南西サレー州チョーバム・テストコースにおいて、開発記号ADO15 (オースティン・ドローイング・オフィスの頭文字と設計順)のメデイア発表・試乗イベントが開催された。イギリスとヨーロッパから集まったメデイア、ジャーナリストたちは、この全長3m強の小さなクルマに驚嘆した。
やがて"The Mini"として世界的に知られるようになり、2000年夏まで約538万台が連続生産され、20世紀最後の年、英『AUTOCAR』誌の"ザ・カー・オヴ・ザ・センチュリー"に選ばれる(1位がフォード・モデルT、2位がMini)。まさに自動車史のエポックメイキング・カーである。
そして、ひとりの自動車エンジニアが世界的名声を博した。のちに大英帝国勲功騎士コマンダー、"サー"称号を授与されたギリシャ系イギリス人、アレクサンダー・コンスタンティン、通称"アレック"・イシゴニスは、1906年、ギリシャ・スミルナ、現在のトルコ・イズミルに生まれた。エンジニアであった祖父デモスティニスは、英政府資金投入事業スミルナ・アイディン鉄道建設の功により英国籍を与えられた。
からの記事と詳細 ( MMM ミニ・ミニ・モールトン PART.1|サー・アレック・イシゴニス - octane.jp )
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