緊急事態宣言が延長され、劇場での映画鑑賞は首都圏では「お預け」という状態となっている。しかし解除後、ひいてはコロナ禍が去ったのちに、ふたたび映画館で安心して映画を見れるようになるかと言えば、現状、そうは言いきれない。
日本全国にある小規模映画館(ミニシアター)の場合、経営基盤は決して盤石とは言えず、場合によってはそのまま閉館に追い込まれる可能性がある。「Save the Cinema」や「ミニシアター・エイド基金」などミニシアター救済に向けた動きも少なくないとはいえ、これは絶対にあってはならないことだ。なぜなら、(少なくとも日本においては)ミニシアターでは大手の配給ベースにのりにくい、かつ芸術性の高い作品がその初期から上映され、いわゆる大衆映画にとどまらない、映画文化の多様性を担保してきた存在であるからだ。
とはいえ、ここでは論理的にミニシアターの意義を突きつめるよりも、筆者の個人的な追想を通して、ミニシアターのもたらした果実を考えることとしたい。
「渦中にいる人間」の視点
ミニシアターについていま思いをめぐらせるとき――これは時節柄もあってか――まず具体的な作品として筆者の頭に浮かぶのは、インドの巨匠サタジット・レイによる『チェスをする人』(1977年)という映画である。
内容はタイトルと乖離していない。すなわち、1856年のインド北部(旧アウド王国)において、時間を持て余し、一日中チェスに講じているふたりの貴族が主人公となる。ちょうどこの時期は、イギリスの露骨な植民地政策による危機が迫っている頃であったが、ふたりは国の動きには何の関心も示すことなく、変わらずにチェスを続ける。そのうちにアウド王国はイギリスに併合されてしまい、その後1947年まで続く、暗黒の支配時代の幕が開く。ふたりも事の重大さを知るも、しかし何ができるわけでもなく、結局はまたチェスの盤を囲むこととなる。
技術面からの探究はとりあえず措くとして、この物語だけを聞けば、何を連想するだろうか。「ノンポリ化」への警鐘を読み取ることもできるだろうが、筆者がいまを鑑みたうえで実感するのは、「渦中にいる」とはこういうことか、ということである。何がなにやらよくわからないままに、時代の動きにやがて翻弄されることになってしまう。年始の時点で、ほとんどの人が新型コロナウイルス感染症こと「COVID-19」がここまでの猛威を振るうことになるとは、まったく思いもしなかったであろうし、それに乗じて安倍政権がここまでの暴走をするとも、また思われてはいなかっただろう。
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